奈良県の障害児学級の歴史 2
昔のことは時代おくれで今ごろ調べても何の役にたつのか?それよりも最新の障害児
教育の情報を調べるほうが価値があるにちがいない。誰しもそう考えるかもしれない。
最新の到達点を知るのも一つの方法かもしれない。しかしあえて、現代を知るために過
去に目を向けるのも一つの方法である。今までたどってきた道のりを明らかにする中で
これからの将来を見通す視点も見えてくるのではないか。しかし、だだ単にたどってき
た道のりを明らかにするだけで終ってはならない。その中からどのような教訓を引き出
すかが重要である。「なによりも障害児教育は社会的な存在であり、それは能力観の問
題につながる。一般社会の人々が能力をどう考えていたのか。たとえば、勉強できない
からかわいそうととらえるのも一つの能力観である。明治の頃は富国強兵という社会的
な背景があり、学校はそれに答えるために詰め込み的な教育をした。そして、学業成績
とりっぱな兵隊にするために力がそそがれた。また、学問が立身出世につながると考え
られた。能力を時代時代の人々がどうとらえていたのか。その中から特別学級ができ、
能力観によって排除された子供達がいたのである。」と菅田教授がゼミで述べられたこ
とが示唆的である。本論文の中心的なテーマは戦前・戦後を通じて特別学級や特殊学
級・障害児学級がどのような過程で生まれ発展してきたのかということにあるが、それ
だけにとどまらず、それらを産みだした当時の能力観を明らかにすることでもある。ま
た、それは、当時の教師をはじめ教育にかかわった人々がどういう思いで子供たちの教
育にあたり何をめざしていたかということを明らかにすることでもある。 本論文では
特に次のことに視点をおいて研究考察する。
◯障害児学級のおもに知的障害に視点をあ てて考察する。
◯奈良県における障害児学級の歴史的流れを戦前から現在まで総合的に 考察する。
◯長欠児、就学猶予・免除等の資料から考察する。
◯当時の教育の構造分析 からその時代の能力観について考察する。
◯児童生徒にこんな力をつけたいという教師 の思いについても考察する。
研究方法として大きく分けて文献調査、訪問調査、聞き取 り調査の3つの方法で取り組んだ。
(1)文献調査
1)県内の文献
基礎資料 「障害児教育百年奈良県記念誌」
県障害児教育研究会関係 「奈良県の障害児教育」「紀要」
教育委員会関係「奈良県教 育」「のびゆく教育」「教育年報」
奈教組関係 「全国教研レポート」
学校史・障害児 学級史 「奈良女子大学附属小学校70年史要」 「桜井小学校創立百年記念誌」「鼓阪
小学校創立百年記念誌」 「片塩小学校障害児学級設置30年記念誌」「奈良の障害児教
育白書」「奈良の障害者問題」
2)全国の文献
「劣等児教育の実際研究」 西久 保奈良石著
「日本新教育百年史 」第6巻 近畿
文部省関係「わが国の特殊教育」
「特別学級史研究」 戸崎敬子著
「わが国における『精神薄弱』概念の歴史的研究」 茂木俊彦,高橋智, 平田勝政著
「奈良県障害児教育運動史研究(1)〜(3)」奈良教育大学教 育研究所紀要
3)文献調査場所
京都教育大学図書館、奈良女子大学図書館、奈良 教育大学図書館 奈良県教育研究所図書室、奈良県教育会館書庫(奈教組)
奈良県立橿原 図書館、奈良県立医大図書館、奈良県立奈良図書館
(2)訪問調査 県教委訪問
桜井小学校訪問、成美学寮訪問、片塩小学校訪問 鼓阪小 学校訪問、吉野中学校訪問、整肢園訪問、橿原市教委訪問
光陽中学校訪問、若草中学校 訪問
(3)聞き取り調査
当時の担任 故松井先生の調査、西村先生 鼓阪小学校、坂口先生 吉野上市中学校
吉田先生 光陽中学校、中村先生 片塩中学校
(1)文献調査
1)基礎文献とした「障害児教育百年奈良県記念誌」について
この文献は昭和53 年が明治11年の京都盲唖院が出来てから我国における障害児教育百年にあたることか
ら、全国特殊学校校長会を中心に百年記念会を結成する全国的な動きの中で、奈良県に
おいても「障害児教育百年奈良県記念会」が結成され、記念式典、作品展、記念誌の発
行等の事業の一貫として昭和54年に発行されたものである。「本書は奈良県における
各障害児学校や学級の成立と、その歴史のあとをかえりみ、現下の実状を明らかにする
とともに、将来への飛躍を図ることを目的として刊行したものである。」と編集後記に
あるように、奈良県の障害児教育全体をまとめた唯一の文献である。特に、本論文で基
礎資料とした障害児学級に関する歴史の部分は、奈良県障害児教育研究会の中村隆宣氏
を中心に昭和53年の全特連奈良大会を開催した時に研究会の歩みを「奈良県の障害児
教育」としてまとめられた冊子が基になっている。この内容は戦後の部分について「日
本の精神薄弱教育 戦後30年地域史U中部日本」2)の奈良県の249〜264頁に
載っている。また、昭和62年にも同じく第24回近畿特連奈良大会の資料として「奈
良県の障害児教育」としてその後の歴史を追加した冊子が発行されている。
2)奈良県教育委員会の発行文献について
奈良県教育委員会が発行している文献に ついては、「奈良県教育」が歴史的に一番古く戦前から発行されている唯一の雑誌であ
る。明治44年から奈良県教育会によって発行されている。戦前の特別学級につての記
載はほとんど発見できなかった。戦後も教育委員会によって発行され、戦後の障害児学
級の歴史を知るうえで貴重な資料となっている。もう一つ、奈良県教育委員会によって
発行されている「のびゆく教育」は昭和29年から発行され最初のころは教育委員会の
月報として会議録が詳しく載せられるなど広報的な雑誌である。ここにも戦後の障害児
教育の行政も含めた貴重な資料を発見することができた。最後に、「教育年報」という
年度ごとの奈良県の教育のまとめが昭和24年から毎年発行されており、その中の特殊
教育及び障害児教育の項目にもその年毎の特徴的な動きを知ることができる。
これら の資料につては一覧表として別に掲載する。
3)奈教組関係「全国教研レポート」について
教育委員会の資料ともう一方の資料 として教職員組合の全国教研のレポートに注目した。奈教組の地下の書庫に毎年奈良県
の教研集会の障害児教育の分科会でレポート発表と討議を経て奈良県代表として発表し
た全国教研のレポートが保存されていた。障害児教育については昭和32年の第7次教
研のレポートから発見できた。全国の動きとつながる場として非常に貴重な資料であ
る。一覧表を別に掲載する。もう一つ、貴重な資料として職員録が保管されている。戦
後の昭和24年からの職員録から当時の担任名を調べる手がかりとなった。
4)学校史・障害児学級史について
桜井小学校と鼓阪小学校につては「創立百年記 念誌」に障害児学級についての資料が記載されていた。「奈良女子大学附属小学校70
年史要」については年表として特別学級の記述を見い出せた。注目すべきなのは、片塩
小学校の「三十年の歩み障害児学級設置30年記念誌」である。奈良県最初の障害児学
級として発足した伝統のある学級として歴史をまとめた資料として非常に貴重なもので
ある。
5)全国的な文献について
戦前における桜井小学校の促進学級について唯一残され ている文献として西久保奈良石氏の「劣等児教育の実際研究」は貴重な文献である。
また、戦前の特別学級を研究する上で戸崎敬子氏の「特別学級史研究」2)から多くの
示唆をうけた。また、清水寛氏との共同研究による大学紀要の論文にも多くの発見をえ
た。もうひとつ茂木俊彦氏らの「わが国における『精神薄弱』概念の歴史的研究」3)
は戦前における多くの資料について貴重な情報となった。「学校衛生」及び「小学校」
等の戦前における教育関係雑誌についての発見はこの研究におうところが大きい。ま
た、奈良教育大学教育研究所の「奈良県障害児教育運動史研究」からは、戦後の年表づ
くりや障害の重い子どもの教育保障等の先行研究として多くの示唆をえた。
(2)訪問調査について
文献調査では具体的な当時の担任者の連絡先や地理的な状況が理解できない場合が多 いので、特に重要と思われる学校等について現地訪問調査をした。戦前については、桜 井小学校を訪問した。大正から昭和初期のことであり移転により全く当時の面影はなか ったが、「桜井小学校創立百年記念誌」の中に桜井教育の記述と西久保奈良石氏の在職 期間等の資料を発見した。県教育委員会訪問では田中文嗣指導主事より基礎資料とした 「障害児教育百年奈良県記念誌」と「奈良県教育」を提供していただいた。また、県障 害児教育研究会の中村隆宣校長先生を紹介いただいた。成美学寮の訪問の目的は戦後特 殊学級が出来るまで奈良県で最初の精神薄弱児施設のできる経緯の調査であった。春の 坂道で有名な剣豪の里柳生の小高い山の上の芳徳寺の中にあり、秋の叙勲で端宝章を受 章された寮長夫人で寮母の橋本美江子さんから前寮長の橋本定芳氏の開設にいたる経緯 をお聞きした。故橋本定芳氏のりっぱな追悼録を提供いただいた。鼓阪小学校の訪問で は、同窓会名簿から当時担任であった松井常雄氏と西村幸治氏の住所と連絡先を教えて いただくとができた。片塩小学校の訪問では、「障害児学級設置30年記念誌」を提供 いただいた。吉野中学校訪問では、奈良県最初の中学校の特殊学級の担任である坂口京 一氏の住所と連絡先を教えていただくことができた。また、橿原市が市費で講師を採用 して未認可で特殊学級を経営していた光陽中学校では、当時の担任だった吉田善次郎氏 の連絡先を教えていただいた。若草中学校には昭和30年に精薄学級が開設されたとい う記述があるがその当時存在したという事実は確認できなかった。このように、文献調 査では確認できない具体的な多くの資料と情報を得ることができ、つぎの聞き取り調査 につなげることができた。学校の沿革史等にも障害児学級のことが記入されていない場 合が多く確認には聞き取り調査が必要の場合がほとんどであった。
(3)聞き取り調査 について
学校訪問等で得た当時の担任の先生の連絡先をたよりに4人の先生に直接お話を聞く ことができた。奈良県の障害児教育の草分けとして開拓してこられ奈良県初の読売教育 賞など大きな業績を残された鼓阪小学校の西村幸治氏をはじめ、現在87才であるにも かかわらず当時の記録を大切に保存されていた光陽中学校の吉田善次郎氏、吉野上市中 学校で奈良県最初の中学校の特殊学級の担任として活躍された阪口京一氏、現役では唯 一の元片塩中学校の担任で県の障害児教育研究会で活躍された二上小学校校長中村隆宣 氏にも長時間親切に情熱をもって当時の貴重な生のお話を聞かせていただくことができ た。奈良県最初の特殊学級の担任であった片塩小学校の米田新一氏と鼓阪小学校の松井 常雄氏はともに故人となられており当時の様子を聞くことができなかったことは残念で あった。
(4)用語について
現在では問題があるとして使われていない用語が多数あるが、歴史的な資料として当 時の原文のまま記述することとした。
<注と引用文献>
2)全日本特殊教育研究連盟編(1979):日本の精神薄弱教育−戦 後30年−地域史U中部日本,日本文化科学社,249-264頁,奈良県の戦後障害児教育史(吉村正嗣・中村隆宣)。
3)高知大学 戸崎敬子(1993):特別学級史研究−第 二次大戦前の特別学級の実態−,多賀出版
。
4) 東京都立大学 茂木俊彦、日本福祉大 学 高橋智、長崎大学 平田勝政(1992)
:わが国における「精神薄弱」概念の歴史的研 究,多賀出版。