『中村佐喜雄先生』を偲んで
なつかしい中村佐喜雄先生を何十年ぶりかで訪ねる喜びに胸をふくらませながら、岡山市下足守コウノベにあるモンテ微塾を私は香芝市障害児教育研究会の運営推進委員十四名と一緒に訪れたのは、平成五年八月四日(水)であった。
中村佐喜雄先生との出会いは、確か昭和四十三年頃であった。奈良県障害児教育研究会の研修会の会場であった。先生は、当時情緒障害児を受け持っておられ、様々なユニークな実践を発表され、非常に印象深く、懸命な指導の姿に、大きな刺激を受けた。先生は、モンテッソーリの理論を現場において実践されておられた。ピアノも玄人はだの腕前で、音楽療法を通した自閉症児の指導は、抜群であった。昭和五十八年、私は、県の指導主事として、中村先生の授業を通した研究大会に参加した。先生は、当時、I君という重度の自閉症児を担任しておられたが、研究会での授業の展開の場においてすべての参加者の目が一斉に輝いたのは、先生の指の動き、声のかけ方の多様性に、ピアノのタッピングに誘発されるかのように、様々な指示に従い行動を行った時であった。常同行動が破られ、コミニュケーションの場が目的的に作られる様に驚嘆の渦が巻いていたのを今も耳に焼きついてはなれない。
先生との交流は、東京での研修会、また、全国各所でも一緒であった。先生は、日頃健康には特に留意され、カロリー計算をしながら昼食は、ウィスキーの小壜のキャップ一杯であったのを覚えている。夏の暑い折にも、唾が相手にかからないようにマスクをされる気の遣いようであった。
モンテ微塾を訪れた日も、うだるような暑い八月の太陽の下であった。周りの深い緑の中にモンテ微塾があった。中村先生と保護者の方々が出迎えて下さった。少し年を召された短い髭にマスクがあった。農家を購入したとの話であったが、実に大きな家であった。親切な保護者のボランティアの中に塾の息吹きを感じた。やはりピアノがあった。モールス信号機やモンテッソーリの教具など先生が考え出された様々な教具に目を見張ると同時に、先生のこの教育にかけられる情熱に再び感激した。授業参観、研究討議と熱心な研修会のひとときに香芝市障害児教育研究会の面々も驚きと感動とこの教育の深さと、何か一つの糸口を見つけたのを感じた。
『生涯一学徒』が先生の人生訓であった。
足守に夕闇がせまる頃、モンテ微塾の子ども達、保護者の皆さんと中村先生に見送られ一行は先生に推奨された浮田温泉で一泊した。
岡山の童話的な山々のたたずまいに、小川のせせらぎと人情の深さを感じながら夜の更けるのも忘れ語り合い、共に同じ教育に携わる者の温もりを感じたのであった。あとを追ってこられた中村先生も交えた夜の研修会も花盛りであった。『ふるさとのなまりなつかし・・・』きっと中村先生も、大和の地から来た同人の言葉を聞きたかったのだとその時思ったのは、私だけではなかったと思う。
天国にいる中村佐喜雄先生に告げたい。『先生から学んだ多くの者が今、先生の教えを子ども達に伝えていきますよ。』『どうか。良く見ていて下さい。そして時には、こうするんだよ』とあの独特のしぐさで、そしてやさしい声で言って下さい。
上嶋先生へ
先生、本当に有難うございます。中村先生ひ捧げるこれ程すばらしいメッセージはありません。何卒よろしくお願い致します。
尚、当時の中村先生からいただいたお手紙同封しておます。
1998.11.26
モンテ微塾合同研修会要項
テーマ 親亡き後この子らの幸せは?
日時 平成5年8月4日(水)14:00〜16:00
会場 モンテ微塾
参加者 奈良県香芝市障害児教育研究会運営推進委員15名と本塾から若干名
日程
13:00〜 | 14:00 | 15:30 | 16:00 |
奈良県教員到着 休憩・説明 |
一般授業 (小、中、高生徒) |
音楽療法的 (養・訓) |
会場移動 (浮田温泉) |
内容 ○ 授業参観、小3組 中1組 高1組の親子によるスキンシップ学習
及びそれらの音楽療法的養護・訓練の指導
○ 研究討議 授業内容及びテーマについて
−その現状と未来−
○ 特別指導・助言 奈良県香芝市立下田小学校校長
東 宏美 氏
指導助言者について(前)障害児担当教員、県教委指導主事
(現)公立学校長、奈良県障害児教育研究会長
東先生は障害児教育における医学の分野にも造詣が深く、中村の奈良県
在職中はもちろん現在もボランティア的にお世話になっている。