モンテ微塾 故中村佐喜雄先生(定年退職記念教材)1987年
この実践記録は、故中村佐喜雄先生の遺品の中にあった
定年退職記念教材と記されている手書き原稿をもとに活字化したものである。
(1987年)
(元)奈良県生駒郡平群東小学校教諭
障害児学級担任 中村佐喜雄
中度の知的発達遅滞児・Y児(小学校五年生 女児)に、三年前から始めた「文字と生活体験を結びつける学習」が効を奏し、本児に言語、数量の基礎学力がついてきたので、この学力を何とか積極的な生活体験に応用できないものかと考えたあげく、発見したのが本教材「煎茶道マナー学習」であった。そしてこの教材発見の直接的引き金となった学習は、数量の「温度理解」からであった。これは毎日指導している言語学習として使っている日記指導の「気温の測定とその理解」から、本児の感覚的に習得したものであることをぜひ触れておきたい。そしてY児が本教材の学習に取り組んだ当初から、以下述べるような、思いもよらなかった好結果を生むことになり、子供も教師も共に救われたわけである。
煎茶道マナー指導計画
1.内容と方法
児童の知能、身体、情緒等の特性をとらえ、既習の国語、算数、理科等の基礎的な知識、技能を、日常生活面に応用した煎茶道マナーの学習活動を通して、日常生活に必要な礼儀作法、集中力、コミニュケーション、その他各種の能力を身につけさせ、将来の社会的自立の一助に資する。
(イ)目標
本教材の学習によって、特に次のような障害児の一般目標が達成されたことに気づく。
●(基本的生活習慣)食事の時のあいさつ、行儀、食器の扱いや片付け、調味料の扱い等についての理解や能力
●(遊び)一人で、または友達と、特に仲間に入れない友達と、一緒に遊んだり、指示されて遊具をゆずるとか、共同の遊具などを大切にしたり、後始末をする等の態度
●(交際)自分の住所、氏名、家族の名前を言ったり、身近な人に自分からあいさつをしたり、忘れ物をした友達に自分の物を貸す。友達との約束を守る等の能力。
●(手伝い、仕事)簡単な伝言に行く、用事がすんだ時の報告、使った物の整理、整とん、決められた場所の掃除をする等の能力
●(決まり)時刻を守る、学校の決まりを守る。落とし物を届ける等の態度。
●(金銭)お金の大切さ、むだづかいのいけないこと、お金の種類等の理解、お金を使って小額で決まった額の買い物をする能力。
(ロ)指導内容
◯(準備)
・席は畳の間でない所では、カーペットを三畳分ぐらい敷いて、その上に図@のように茶具を飾る。敷物は別に厚めの布を寸法のように切って、あらかじめ茶具を置く場所に印をつけておくとよい。図A
・お盆の中の茶具は類は、図@のとおりで、始めるまで盆覆(布巾でよい)をかけておく。・炉(マナーでは涼炉と呼ぶ)の火(電熱)と湯加減(C°80)を調べておく。・水入れ(水注と呼ぶ)の水、茶壷のお茶の葉は、八分目まで入れておく。茶の葉は「煎茶」でよく、教材には安価なものでよい)・お菓子は、強い匂いや刺激のないものなら何でもよく、教材には飴がよい。
◯お手前(もと点前)ごあいさつ・・・「一煎さしあげます」(学習に入る前に客にあいさつをさせる、客は軽く頭をさげる)
◯お手前を進める。(マナーの個々の動作は教本の指示によって進めていくが、あらあじめ、子供に見えるようにしておくことが大切である。これを「手前簡略表」と呼ぶ。(これは教本を見ながら、教師は子供の姿を目に浮かべて、その能力と対称させながら必ず一人で作る。理由は後記)
『手前簡略表』により指導を進める。
1. 茶具を飾る(盆おおいがかけられてあるか)
2. ごあいさつ「一せんさしあげます」としとやかに言う
3. 盆おおいを取って四つに折り盆の左におく
4. 茶つぼを左手で取り、左手に持ちかえて盆おおいの上方に置く
5. 茶りょうを茶つぼに立てる
6. 茶たくを両手で取り、左手で盆おおいの前方に置く
7. 茶わんを@(正客)からDまであお向ける
8. @からDの茶わんに水を入れる
9. @からDの茶わんの水を捨てる
10. @からDの茶わんを茶巾でふく。
11. ボーブラ(湯沸かし)の湯を、茶わんと、きゅうすに入れる
12. 茶りょうを右手で取り、左手に持ちかえて
13. そのままで、茶つぼを盆の中に入れ、ふたを取って右に置く
14. 茶りょうに茶の葉を七グラム入れる
略
26. あいさつ『どうぞお上がりください』と言ってお茶を飲む(主人はDの茶わんを飲む)
27. 飲み終ったら、元にもどし『お菓子をどうぞ』とすすめる
28. お菓子を食べ終わったら、茶わんを盆の中に入れて並べる
29. 茶たくは盆おおいの下方へ置く
30. 茶わん@〜Dへ水を入れ、@〜Dの順に捨てる。茶わんをふく
略
38. 盆おおいを広げて盆にかぶせる
39. ごあいさつ『不調法でした』としとやかに言う(各は『ごちそうさまでした』とおじぎをする)
2. 指導上の留意点
◯茶道は、家元を発祥とする厳しい流儀の正統を伝えるがゆえに、障害児といえども、その客観性をおろそかにすることは許されない。(健常児と共に生きるがゆえに)と考えるが、そこはハンデを持たされた障害児のこと、指導に入るまでに、子供の能力、特性等をよく吟味して、本教材のもつ正統性を曲げることなく、教本よりくずした、前記簡略表を作り展開することにした。もちろん指導者は、未経験であったので、前もって地元に在住する師匠に数回手ほどきを受けた。このことは、子供が将来成人して茶席にでるような事態になっても、うろたえることはないと思うし、また障害児だからと軽く考えて『ただ、ついで、飲み、お菓子を食べる』だけの指導では、単なるままごと遊び同然となり、それでは数多くの指導内容を持つマナー学習の目標が達成されず、長期にわったての指導も不可能であり、本教材の持つ価値が著しく低下することを特に強調しておきたい。
◯本教材の指導にあたっては、家元『水口豊園』師の『円方流煎茶道』の教本を使用し、筆者居住地在住の師匠『吉田妙園』女史に手ほどきを受け、前記の簡略表を作った。
3.対象児Yちゃんのプロフィール
◯小学校五年生女児(IQ)、中程度の知的発達遅滞で『精神薄弱児の発達診断表』によると、身辺自立では、歳以上あるが、運動機能の全身運動では歳、手の運動では歳級、社会生活面では言語理解が〜歳級、言語の表現が歳、対人関係、集団参加が歳、各程度であるが、性格は極めて繊細であるのに、明るく素直、発育も良好である。ただ股関節脱臼の既往症があり、行動が緩慢で、せかされることを極度に嫌うが、自力では健常児に劣らない持久力を持つ。
◯学習面では、平素から将来への自立に備えて、言語活動を盛んにするために、音楽療法を取り入れた指導を行ない、子供の喜ぶ歌をふんだんに教材として用いたので、かな文字、漢字、日常生活によく使われる数字(年、月、日、気温)などを興味をもって使えるようになる。
指導の経過と効果
このような言語に特に障害を持つ、コミニュケーション不得手な中度の知的発達遅滞児に対して、将来の自立のためにとは言え、教師が無理に何かの手だてを考えておしつけても、子供ににとってはその時勝負のみに終り、長続きもしなければ、その定着もむずかしい。今子供にとって一番必要なことは『楽しくやれて、同時に学習と養・訓が可能で、しかも広範囲に応用が効く教材』を見つけることであった。それがやっと本児が四年生になったころ、前述の『文字と生活体験の学習』から基礎学力がついてきたことによりひらめき、年明けの昭和六十一年一月上旬に器具を購入し、前記師匠の助言により教材研究の後、一気に指導を行った。
1.導入期の様子(約二時間)
最初は、図@のように茶具をきれいに並べる(「飾る」と言う)のであるが、これがまた、置き方や寸法などが決まっていて、それがやかましい。指導する側も、教本の指示だけでは余りにも不安が多いので、前記師匠を教室に来てもらい、子供の前で、ゆっくりていねいに『お手前』のマナーを、ひと通り指導していただく。これが本児にとって大へんな興味をそそることになった、やる気を起こしたようである。そのとき以来、『先生、お茶、お茶!』と次回の指導を自分から催促することになったからである。
2.『手前簡略表』作り(約3時間)
なんと言っても、この作業が一番大へんであったと思う。こちらが無知なるがゆえに、教本と首っ引きで、それも子供の顔や姿を常に目に浮かべながら、消しては書きして、教師が子供が使い易いようにと工夫をこらして作り上げたからである。ここで特に注意しなければならないことが一つ。それはこれを作るとき、教師ひとりだけでなくやることが大切で、障害児の場合、子供を同席させて、意見を求めようと話かけたりしても所詮弧度もの思考を混乱させるだけで益することは少ない。むしろ指導に際しては、常に子供に対して『新奇な注意力、くいつき方』に期待する方が、はるかに効率がよいと、指導をしてみて気が付いたからである。マナーの手順が余りにも多いためであろう。(正式には百もあろうか、本児には能力に合わせたので三十九項にしぼってある。)
3.実際指導の様子
導入も終わり、簡略表も完成して、いよいよ子供を待たせておいた指導によることになる。簡略表を見て子供の目が美しくきらきら輝く、こうなるとこちらもやる気が起きる。「Yちゃん、しっかり覚えようね」と つい言ってしまう。
(イ)茶具の飾り付けと準備
・これが最初の大切なところ(図@の敷物に、図Aのように、マジックで印をつけておく)お菓子は子供の喜ぶものがよい。本児にはあめ玉、ゼリー、小粒のチョコレート等を使用(正式でも抹茶道とちがい特に制限はない)
(ロ)手前の指導に入る。
・茶具も飾り湯もわいてくると、簡略表により、おちついてゆっくりと指導に入る。ここで大切なことは、早く覚えさせようとせず、簡略表と、教本の写真や図を頼りに、教師と子供が一つ心になって、自然な形で『体で覚えさせる』とする方が確実に定着するようである。本児の場合、五〜六回の指導で大体理解できたと思う。
・こうして、やり方が分かりかけて、子供の心に自信がついてくると、このむずかしい『手前』の指導が実に楽しくできるようになってくる。そうだ、本教材は子供と教師の共有物であったのである。そして『あいさつ』と『礼儀作法』は、学習の深まりと共に、どんどん日常生活面と広がりを見せていくことになる。
(ハ)お客さまを招待する。
・なんと言っても、この段階が本学習の『クライマックス場面』と言えよう。日頃何一つ本児が健常児に対して、サービスなどできず、非常に他人に『してもらう』と言う、言わば受け身の人生の障害児であればこそ、指導する側にもその心情が痛いほど分かる。学習段階がこの辺までくるともうしめたもの、今までのむずかしかった学習のしんどさがふっとんでしまうらしい。本児が精神を一点に集中して、簡略表を横目でちらちらにらみながらやっている姿からも、よく分かる。教師も『ああよかった、これでこの子にも大きな楽しみができたのだ』と。まだ不慣れな段階のままで客を招待するのであるから、時おりまちがうが、そんなときは、やさしく『ああこうだったね』と一緒になって手伝ってやるとすんなりと覚えこみ、二度とまちがいを繰り返さないから不思議である。
・お茶を差し出す順序は最初からまちがわずにできるが、お菓子をすすめるときは、自分が客よりも先に口にほうりこんだり『もっとほしい』と要求したりするので、それらのマナーを正すのにも、大へんなごやかなふんいきが生まれ、こんなに楽しい障害児の指導は、長い今までの間には一度もなかっただけに、改めて障害児教育の教材選びの大切さを身にしみて感じている。
4.指導の広がり
・煎茶道マナーは五人が一組になっており、あいさつから順序、茶菓の差し出し、茶器の水洗い、後しまつ等一貫した『指先、体、心の集中作業』の繰り返しであり、しかもそれらが、強制されるのではなく、自分の意志の力で自発的に行われ、その活動は人を選ばず(大、小人、老、若、男、女一切関係なく)コミニュケーションを大切にしながら、極めて人間的に行われるという『交流教材』でもある。
・なおまた、本教材は『ゴッコあそび』ではないから、高まりと共に系統だった指導が可能であり(簡略表を改変していくことで)長期にわったって、飽きることなく指導が続けられる。
・これらのことから、多種多難な、知識、技能、態度、習慣(前記の(イ)目標)が自然に身につき、しかも将来の生きがいにつながる。(障害者が健常者と同一レベル
で楽しめる)という利点をもっている。本児もこの時間だけは他人にサービスできる(自己実現していることの優越感から)唯一の時だけ、その活動ぶりには、すさまじいものを感じる。
・客の招待は、習い初めは専科、交流学習(五年一組)の担任、校長教頭先生、同学年の先生、事務、用務員の方々、そして交流学級の児童となり、そのうちにだんだん広がって、全校の先生方、全校児童と半年余りの間に八百余名の接待を果たしたから、正に賞賛に値する。このような接待は主として業間休みの時間に行うが、担任によっては特に時間をとってくれることもある。ただ休み時間のときは、マナーの全部は行わない。
・このようにして校内の人たちを一人でも多く障害児学級へ呼ぶことによって、健常児(者)に障害児が生き生きと活動している姿を見せることにより、それらの人たちの障害児への意識改革のためにも、大いに役立つことができて大へん嬉しい。そしてこのことは、正に、障害児が将来地域でより幸せに生きて行く上での育種的な配慮とも言えよう。(付(2)児童の反応より、参照)
まとめ
本教材は『知的なハンデを持たされている障害児が、厳しい社会現状のもとで耐えて生きて行くと言うだけでなく、真に人間として、うるおいのある人生を送らせたい』と言う強い願いのもとに考えついた教材であり、実施してみてそのことが実感としてよく分かる。中でも自立のもとになる『友だちづくり』が、ごく自然のうちにできると言う特性を持ち、『障害児自立の生活能力の高まりと、『回りの人たちへの啓発』の両者のねらいを同じに果たし得る教材こそこの煎茶道マナーであったと。また今日、小人数化してきている特殊学級では、特に個人の能力開発が要求される中、担任も子供と一体になって楽しめ、力のつく教材さがしは、これからも続けて行きたいものである。
(出典)方円流煎茶道(上)水口豊園、著
〒606 京都市左京区岡崎入江町 TEL 〇七五(七七一)三二〇七
図1
図2
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