第30回奈良県障害児教育研究大会 報告
このページは1999.1.29 天理市で開催された第8特別分科会での
止揚学園の福井達雨氏の小講演の記録です。
なお、この前半の部分は来春発行される
奈良県障害児教育研究会1998年度研究紀要に掲載される予定です。
当日の講演内容を録音したテープの全文も用意していますが、
福井先生の掲載承諾がおり次第アップ予定。
第8分科会 特別分科会
小講演「子どもの笑顔を消さないで−校園内で障害児教育をどう支えるか−」
講師 福井達雨氏(止揚学園)
司会 万歳淳子(二名小) 運営委員 平尾眞美(鳥見小) 記録 上嶋光春(登美ケ丘中)
文化センターホールいっぱいの、150名以上の参加で大変盛り上がった。午前と午後の2回も福井先生の講演が聞けて幸せですという参加者の声も。写真は止揚学園のメンバーによる「子どもの笑顔を消さないで」などの曲を会場の参加者と歌っている場面。午前の講演では聞けなかった止揚学園の詳しい話が聞けて良かった。また、「ゆっくり歩こうという境地に変わった転機は?」という参加者の質問に、大学の神学部で発達心理学を研究して牧師さんにならないのなら出て下さいと辞めさせられた話や、「はじめは発達させようと厳しい指導をして発達させたが笑顔が消えてしまったことが転機になった。止揚学園には笑いがあふれている。笑いのないところに教育はない。」という話など興味深い話が聞けとても良かった。最後のお礼の言葉では会長の小西藤司先生が実は福井先生の投網の師匠だったとのエピソードも。
講演内容より(抜粋)録音テープより
- 学園には100人ぐらいの仲間がいて、そのうち障害を持った人が40人ぐらいいて、障害を持たない仲間が60人。そのうちの20人は保母さんの子供たち。このあたりにある施設とは違う考えで、理事会は何の機能も持っていない。私も園長や理事長でなくてみんなから選挙で選ばれたリーダーです。
- 「止揚学園には、いっぱいいっぱい人がいるからいっぱいいっぱい愛がある。止揚学園は人間の社会やから。みんなでささえて助け合ってるから。だから、私寂しくないよお母さん。」と言っているように思えてなりませんでした。
- 厚生省は福祉の見直しという言葉の中で、私たちの場に競争原理と市場主義を入れていこうとしています。現在の資本主義の中では、できるかできないかが大切にされて、できないものは切り捨てられていってしまいます。
- 養護学校が出来るまでは、障害を持った人と障害を持たない人という二つのおおまかなグループがありましたが、養護学校義務化以後はその二つのグループが三つに別れてしまったと思うんです。私は47年前から、障害というのはその人の特性なんだから個性なんだからなにも克服する必要はない。その個性を大切にしたりっぱな知能に障害の持った人に育ったらいいやんと言い続けてきました。障害を持たない僕たちのグループ、障害を克服した障害を持った人のグループ、そしてそのグループから切り捨てられた障害を持った人のグル_プの三つのグループに変わってしまったんです。
- その切り捨てられた人と共に生きていくのが福祉だと思うんです。福祉の現場で働く私たちは切り捨てられた人と共に生きながら、人間として生きる社会を作ろうって前に進んでいく仕事をしているんだと思うんです。
(詳しくはhttp://www.sikasenbey.or.jp/~ueshima/index.htmlを参照 上嶋)
※ここからはページ数の関係で、研究紀要の原稿に載せられなかった抜粋部分です。
- 福祉というのは強いものと弱いものがいかに助け合っていけるかということだと思うんです。強いものも弱いものもお互いに支え合っていけるという、向き合っていけるという、顔と顔を見合わせるという世界でないとできないですよ。人だけではできません。人間でなければできません。
- これからの日本の社会は福祉とか愛とかやさしさとか心とか差別をなくそうとかそう言う世界に生きようとすることが非常に難しい時代になるかと言う気がするんです。そのような時代の中で学校の先生が子どもたちを人間として育てて下さい。まだ道が開けていくのではないか。福祉の道は開いていけるんではないか。障害者差別との戦いはできるんではないか。私たちは大きな希望を持っています。
- ノーマリゼーションといっても分かってくれません。私たちが分からないことばを得意になって使っていてどうして共に生きる社会ができるのでしょうか。障害児教育という中では、あのひとたちが分かることばで話あいをすすめていくということがないといけない、あの人たちが分かることばで話し合いあをしなければいけないと、私は思えてならないのです。
- いまの障害を持っている人たち、知能に障害を持っている人たちは日本で植民地にされてるんやなあと思いました。私たちと同じにしてやったら幸福やと思ってます。君たち障害もってるものから別れて克服してぼくらと同じようになれよ。日本の福祉行政も障害児教育も全部そうです。みんなと同じことができるようにしてやろう。すなわち植民地政策なんですね。そのなかで私たちの文化や生活や言葉まで奪われていく。あの人たちは悲しいやないかと思います。実は言葉が奪われるということはとても悲しい苦しい差別なんです。私たちそういう間違いをしてないでしょうか。いつもわたしちだけのわかることでばーと進めていないだろうか。そのなかで悲しい顔をして取り残されている人がいる。その人たちの悲しみが分からないもの、差別からぬけだせないですね。
- 実は今の日本は私たちの仲間を切り捨てがとっても強くなってきています。そういうことを今のみなさんの子どもさんたちにきちっと教えてあげてほしいと思います。それを障害児教育というのではないか、同和教育というのではないかと言う気がするんですね。僕たちが便利になったらすべてが便利というわけでないですね。
- 私は古いものをきちっとして、そして、新しいものをつくりだしていく。その両者が存在する、共存できる社会を福祉の社会というのわけなんです。今日も朝話しました、がんばれ神戸という世界とがんばらなくてもいいよ神戸とうい世界が共存できてはじめてみなが生き生きと人間として生きられるんじゃないかと思うんです。それを私は小学校中学校幼稚園の中で子どもさんたちに教えてほしいですね。私たちの仲間がどれだけ生き辛い社会になってるのか、機械だけ優先していきますと、人、強い人はそれでいいです。私もいいです。障害持たない人もいいです。でも、弱い人、障害を持った人、老人は生きていけへんのです。やっぱし、ああいう人間のやさしさがないと生きていけへんのです。そのことを今日もう一度考えていただきたいなあと思ってるんです
- 小学校の子供を先生がつれてきてですね。で、帰って感想文書いたら、二三人「あんなきたない子いやや」とか「やっぱしあの子らお猿さんみたいでほんまにいやや」こんなんでてくるんです二三。そしたらものすごく悩まはるわけです。その悩んだ先生私に「福井先生どうしょう。私のクラスにこんな差別する子がいぱいや」と言うわけです。泣顔なんです。私不思議でかなんねんなんで悩んでるのか。僕言うんです。模範的な作文書いた子がひょっとしたらなあ、先生に偽って書てるかもしれへんで、そうでないかもしれへんけど。でもこの子ら本当のこと正直に書きよったんや。この子らが一番すばらしいんや。だからこの子らが書いてくれたから同和教育できるんで、いい動機付け与えてくれて、いい教材あたえてくれたというか、この子らに感謝しいなあと僕言うんです。なんで悩んで苦しんでるんねというわけです。明るい笑いでその子どもたちとぶつかったらええやないかと言うんです。笑いって、笑いが無いなかでの教育というのはありませんよね。たとえば、がんばれどんどん、がんばれどんどんと朝から話したまなぶさんをひきずっているときには、まなぶさんの顔、泣き顔と苦痛でした。ゆっくり歩こうなと歩き出したら笑いの顔に変わりました。笑顔になりました。笑いの無い中で教育というのは無いなあと思いました。
- ゆっくり歩こうなとだんだん変わられた転機は?大学でやった専門が発達心理学なんです。この子たちを発達させようと思ってとても厳しい訓練をしました。子どもの顔に表情がなくなったんです。僕と同じようにしてやることこそ幸せだと思ってました。実はこの人たちが持ているものを一つも認めようとしなかった。少数派にも文化があり、音楽があり、言葉があるわけです。ましてあの子たちの中にもそれがあるわけです。それを僕がすべてで、僕のことばくを語れるようにしろ、僕の絵が描けるようにしろとあの人たちのものは全部無視してしもうたわけです。私が実は精神薄弱という言葉は差別だと日本で初めて言った「ちえおくれの子ども、人」ということばをつくった47年間ずっと必ずこの仲間の人たちが胸をはって歩ける世の中や社会になるという確信を持って続けてきました。私はその確信を死ぬまで持ち続けると思います。できないからこそ確信を持ち続けることこそ教育ではないかとこう言っているわけです。
ueshima@sikasenbey.or.jp
ホームページ